25年前に大規模な噴火をした普賢岳に行きました。火砕流は溶岩を含む本流と火砕サージとよばれる高熱のガスの塊があるそうです。
この小学校は当時その火砕サージにより燃えてしまったものを遺構として残してあるものです。
今回棚田に何か所か行ったのですがまだ田植えをしていないところが多かったです。5月の末で田植えをしていないのが不思議でした。
前回も行った長崎外海地区にもまた行きました。19世紀に布教救済活動をしたド・ロ神父と信者が作ったのが大野教会です。
民家のような素朴な教会です。
またバスチャン屋敷跡というところにも行きました。バスチャン(洗礼名)は伝説の日本人伝道士で宣教師が禁教令により追放されているとき
この地方のキリシタンたちを指導したといわれています。バスチャンは役人にみつからないように隠れ家を転々としたといわれていますがこの屋敷は
その一つと言われています。
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